しなのの城ヨガを通して熊本と縁が繋がった日、やっと答えを見つけたこと

しなのの城ヨガ2018まであと2週間。一本のお電話を熊本からいただきました。熊本に「特別な縁」がなかった私たち。城ヨガを通して縁が生まれ、繋がり、元気をいただくことになったのです。

 

しなのの城ヨガまであと2週間となったある日。

熊本から1本のお電話をいただきました。

電話のお相手は熊本のボランティアガイドを20年にわたって続けてこられたくまもとよかとこご案内人の会吉村会長でした。

全国ニュースで取り上げられることが減ってしまった「今の熊本」のことを知りたく、メールでお話を聞かせていただけないかお願いしたところ、わざわざお電話をくださったのです。

震災のこと、熊本城のこと、今の熊本とお城のこと…丁寧、かつ明朗な会長の語り口につい引き込まれ、時間を忘れて話に聞き入りました。

さらに吉村会長からご縁をいただいて、熊本城管理事務所所長さまからもお言葉を賜ることができました。

 

「しなのの城ヨガ2018」の開催を心よりお喜び申し上げます。

熊本では、平成28年熊本地震発生当初、避難所や車中での生活を余儀なくされた方のエコノミークラス症候群などの健康面での心配が多くありました。そうした経験から申しましても、道具を使わずに、年齢を問わず出来る運動であるヨガを身につけられるイベントが開催されますことは、誠に意義深いものと考えます。

本イベントでは、2017の初開催時にも、その収益を熊本城の復旧のためにご寄附いただいておりますが、今回もまた熊本城の復旧をテーマにしていただいていると伺っております。 皆様からのご支援に深く感謝申し上げますとともに、ご参加の皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

熊本城総合事務所長 田代 和久

>>>熊本城

 

熊本地震から約2年。

以来、14万人のゲストを案内してきたボランティアガイドくまもとよかとこご案内人の会吉村会長は、熊本地震に限ったことではないだろうが、残念ながら人々の関心が薄れつつある時期に差し掛かってきているのを感じているそうです。

それでも日々すすんでいく作業を見つめながら、熊本城の今日までの歴史だけでなく、「今」と「これから」を一人でも多くの方に伝えていきたい、と力強い声で会長はおっしゃいます。

「築城されて400年。そしてこれからの400年をまた進むために、復旧されていく熊本城は毎日その姿を変えています。ぜひ今の熊本城を多くの方に見てほしい。60を過ぎた私ですが、私も必ず元の熊本城を目にするまでがんばります!」

電話の向こうから聞こえる元気なお声に私たちが勇気づけられ、背を押された気がいたします。

ヨガはサンスクリット語で「繋がり」という意味を持ちます。

まさにヨガを通して縁が広がり、遠く離れた方たちと繋がった瞬間でした。

 

 

2016年4月14日21時26分以降に発生し続けた熊本地震は最大深度7を記録、3日間で余震含め430回以上の揺れが観測されました。

熊本県、大分県に甚大な被害を与え、未だ仮設住宅で生活を余儀なくなれている方も多くいらっしゃいます。

そしてこの地震で熊本城も被災しました。

その被害は少なくとも6か所の石垣が崩れ、重要文化財である長塀が約100メートルにわたって倒壊、天守や櫓の屋根瓦や鯱も落下したと報告されています。

本震以降も発生した相次ぐ揺れもあり、結果、総修復費用は600億円以上、城のシンボルでもある天守は3年、そして全体すべての復旧に約20年かかると発表されています。

 

>>>熊本城被害詳細

 

まずは城のシンボルである天守閣の復旧を…とすすめられている作業は完成予定を2020年としています。

天守閣は大天守よりも小天守のほうが被害大きく、とくに損傷が激しい内部の修理は、また地震があるかもしれない、台風が、大雨が、といった不安と焦りの中、困難を極めています。

現代の建築技術ならもっと迅速に作業できるのではないか、そういった声もある中、復旧にあたり熊本県民が選んだ道はこの時代に困難であっても「可能な限り昔と同じ工法で」というものでした。

全国から今では数少ない石工をはじめとした職人が集められ、手間と時間をかけて作業は進められています。

それと同時に国内で唯一災害によって甚大な被害を受けた「城」として、最新の耐震技術をとりいれて復旧するという新しい試みもまた行われています。

 

 

 

熊本県民だけでなく、多くの人々が心を痛めた「熊本城の崩落」。

たくさんの人に愛される熊本城とはいったいどういったお城なのでしょうか。

「築城の名手」と知られた加藤清正によって約400年前建てられた熊本城は難攻不落の城といわれ、日本三名城のひとつです。

加藤清正は豊臣秀吉に仕えた勇猛果敢な名武将として知られています。

ちなみに加藤清正は上田城にも足を運ばれたことがあるそうですよ。

防衛攻撃のために工夫を凝らされた熊本城は築城から約280年後に発生した西南戦争で、西郷隆盛率いる薩摩郡約13000名の攻撃を受け、天守閣と本丸御殿の一部は消失してしまいましたが、落城には至りませんでした。

その後、天守閣は再建。

鉄筋コンクリート製でしたが、外観や瓦の列、数など細部まで忠実に再現され、築城以来長くにわたって熊本県民の誇りであり続けました。

実践にも籠城にも優れた「中世の要塞」であり、またの名を「銀杏城」と呼ばれ、清正公の植えた天守閣前のオオイチョウは今なお城のシンボルとして親しまれています。

今現在でも日本国内だけでなく、世界中からその勇壮で華麗なたたずまいを拝むため多くの人が集まるお城です。

 

 

 

 

ひとりひとりの「自分にできることがあれば」という小さなの想いが集まって、しなのの城ヨガはスタートしましたが、「なぜ熊本城だったのか?」と問われれば、その時、きっかけをいただいたのがたまたま「熊本に届け!城ヨガ」プロジェクトだった、という答えしかありません。

始めてみれば思ってもいなかったたくさんの方のサポートをいただくことができました。

熊本城のこと、熊本地震のこと、ニュースで見るだけでなく、自分から進んで情報を集めはじめました。

熊本地震だけでなく、各地の震災にも以前よりずっと意識が向けられるようになりました。

震災などなければいいけれど、この地球上に住んでいる限り避けられないのだとしたら、こんな形で生まれる「縁」もあっていいのかもしれない、と思いました。

 

城ヨガを始めて以来、「熊本に特別な関係がある方が(実行委員に)いらっしゃるんですか?」とよく聞かれます。

「しなのの城ヨガ」に参加してくださった皆さんが、私たちと同じく、開催していなかった、参加していなかった時よりちょっとでも熊本城のこと、震災のことを考える、そんな「縁」をつくることがこのイベントの意義なのでしょう。

身体を動かして、呼吸をして、笑って、そして遠く離れている熊本城を、今日もまた復旧しようと必死にがんばっている人たちのことに思いを馳せる、そんな風に楽しんでいただければとさらに強く願います。

 

清正公が築き、戦乱の世、徳川の時代の終わり、国外へ開かれる国、激動の昭和、そして災害…熊本の、日本の人の営みをずっと見守ってきた熊本城。

いつかこのお城が元の雄大な姿を取り戻した時、震災という大きな悲しみもまた乗り越えて進んでいくという人間の強さを熊本県民だけでなく、わたしたちもまた、目の当たりにすることができるのではないかと感じています。

20年後、熊本城とともに私たちはどうなっているのか…楽しみになってきました。